2012/09/17

朝からキッチンブリーチを床にぶちまけて掃除。とれないと思っていた汚れがとれた。昼食はオクラ納豆スパゲティ。鰹節とポン酢も追加。ずびずばいわしてたべる。部屋をすこし整理して、売りに出すレコードとCDを袋に詰めて外出。買取金額は2500円。フリーデザインのCDは全部集めたけど、結局全部手放してしまった。ペイルファウンテンズのパシフィックストリートも手放し、橋本徹に手を振る。公園の前を歩いていたら、ブランコをこいでいた幼女のおぱんちゅが目に入る。白でした。高島屋の地下では1100円のジャムなどを買う。商品券をもらったので強気。ブリの切り身も一盛り買う。880円のはずが、おじさんは間違えて680円のシールを貼ったことにあとで気づいた。高島屋の野菜売り場には東北のものも多い。青森の大根、秋田のニラなど。長野のレタスは特売で1玉50円。とぶように売れていた。近所のスーパーでは九州よりの野菜にシフトしているように思う。

帰りの地下鉄に乗り、さらにスーパーで買い物。5キロの米を買ったので合計10キロ以上の荷物をさげて歩いて帰宅。重すぎる。スーパーの袋が指に深く食い込む。いま自転車がパンクしていていろいろつらい。

2012/09/16

為了愛 All For Love/靜婷 Tsin Ting

元町 ハックルベリーで1970年の香港のレコードを2枚買うことができた。ぴかぴかのラミネート加工がされた英国盤のような7インチで、デザインや印刷・写真の質も高い。レーベルはEMI。世界最大録音機構とルビがふってあるのがよい。「入骨相思」と書かれた曲は「骨まで愛して」のカヴァーとなっており、当時の日本との関係が見える。音のほうは欧米かぶれしたアジアン・ポップスでおもしろい。こういうレコードは現地にもまだのこっているのだろうか。欲しい、欲しいぞ!。日本では香港のレコードなど見たことがないし、レコードに書いてある言葉を検索にかけても情報がない。このレコードの件で、香港への興味が一気に湧く。

千矯百媚 Wonderful Moment / 白瑛 Pai Ying

もう1枚のはこれ。ジャケットデザインはやはりイギリス側のスタッフだろうか。

2012/09/15

ひとりでIKEA神戸へ行き、2時間かけて机を選び、買う。これはなかなか大したことである。ひとりでIKEAにいるやつなんていないのだから。商品の配送料は全部合わせて3,000円。手ぶらで帰る。

2012/09/14

いつもどおりの時間に起きて、朝食と弁当をつくったが、のろのろしてしまってパンを焼いたものの食べる時間がなくなってしまった。フライパンにのせたままの目玉焼きとベーコンとアボカドだけを食べて出社する。ごくろうさま。さいきん時間に余裕はあるもののなぜか疲れてしまっていてダメな感じ。すぐに眠くなってしまうのはなぜだろう。駅まで走ってなんとか電車は間に合った。職場に着く頃にはさすがに汗ばんだ。ちょっとひどかったので、Tシャツの下にきているタンクトップだけを席についたまま体をくねくねして脱ぎ、長袖のシャツをうえから着た。職場の空調設定だと、これくらいの出で立ちでちょうどいい。このくねくね動作は小学生の頃、女子が教室で体操服に着替えるときによくみたものだが、どうしても下手くそだった女子がふたりいて、よくポロリをしていたのを覚えている。彼女の名前はいまでもフルネームで思い出せた。

ジョン・ピールのラジオアーカイブが公開。というニュースに驚く。彼のことは、ブリジット・セント・ジョンを見出した人。として知ったので、きっとフォーキーな番組なんだろうと思いながら再生ボタンを押したが、ちょっと意外な音が飛び出てきて驚いた。これはヘヴィメタルではないか。I don't know what about john peel. 伝説のラジオDJといえば、ジェリーロスの番組にいちばん興味がある。そんな録音はいま存在するのだろうか。白人DJが黒人相手にR&Bをかけまくっていた。というエピソードだけでも最高だけど。

2012/09/13

「井上靖/遠い海」を読了。いっきによんでしまえるだけのおもしろさはあったけれど、人が言うほど傑作とはおもえない。妙に変だな〜 と、amazonで調べてみたら、「北の海」とまちがえていることに気づいた。

井上靖を知ったのは、井上ひさしが亡くなったときにのこと。金沢のあうん堂店主との会話の中でだった。

2012/09/03

会社をでると天気予報どおり夜からの雨がふっていた。傘はもってきていなかったが、ハンカチがあったのでそれでしのぐ。一旦自宅に帰宅し、AirMacExtreamとMacBookをかついで実家へ向かい無線環境をつくる。設定についてはLANケーブルの抜き差しだけで事が済むかと思っていたが、うまくいかなくて難儀した。「169 IPアドレスが取得できない」などとiPad 3Gで調べながら、1時間ほどかけてなんとか完了。よかった。これで実家も無線環境。最終的には実家:MacBook+iPad wi-fi/ 自宅:iMac+iPad 3G としたい。

テレビをつけるとビーチ・ボーイズがスマップと一緒にサーフィンUSAを歌っていた。ブライアン・ウィルソンもだるそうに両手をさげて歌っていた。ビーチ・ボーイズとスマップといえば、ペット・サウンズを模したジャケットがあったが、あれはなんだったのだろう。看過せず、なんなんだよ!?と、言及した村上春樹の文章はあまりにも熱かった。http://ameblo.jp/krazykoolkat/entry-10457478409.html

2012/09/02

「山下達郎 シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012 」を観にT・ジョイ京都まででかける。母と妹と一緒に映画を観るというのは多分初めてだったのではないかな。母はタイガースほどではないにしても山下達郎のファンでもあった。リアルタイムでシュガー・ベイブのレコード(コロンビア盤)も持っていたくらいに。そんな家庭だったので、山下達郎の音楽というのは子供のころから身近なものだった。サンデーソングブックはよく聴いていたし、Beach Boys - God Only Knows, Impressions - People Get Ready, The Delfonics - La-La Means I Love You のような名曲も彼の歌唱で知ったのだった。わたしにとってはもはや山下達郎はゴッドファーザーなのである。映画を観て、母はなぜか泣く。いや俺もかなり感動してしまう。動いている達郎を観るのは初めてだった。妹はどうでもよさそうだった。

寿司を食って帰る。頼んでもないとうもろこしがでてきて。バイトの娘がかんじわるかった。はっきりいっておいしくなかったね。などと愚痴って帰る。

2012/09/01

曽根崎警察署から「あなたが紛失した携帯電話の収得している」との知らせがあり、大阪へ向かう。どうして自宅の電話番号がわかったんだろうかと思ったが、きっとアドレス帳から自宅の番号を見つけたのだろう。助かりましたありがございます。携帯がなかったこの期間は、まったく不便だった。ということはなくて、むしろ携帯がなくてもあまり困らないことを確認するための期間となった。たまっていたメールは11通あったとはいえ、すべてプロモーションだったし。いまでは友人らとのやりとりもSNS上でのDMで行うことが多くなった。

地下街を歩いて、御堂筋線の改札に向かうと、事故のため運転中止の知らせ。梅田から難波までは谷町線に乗り谷町九丁目で下車したあと、千日前線に乗りかえることになった。そして難波着。丸亀うどんで、ゆずおろし330円(美味しい!)をたべて、OIOIの上にあるTOHOシネマズ難波で「桐島、部活やめるってよ」を観る。難波から心斎橋までは、まんだらけグランドカオス、キングコング、ハンキーパンキーに立ち寄りながら歩く。それからダンケで『えびな書店店主の記』を読みながら休憩。レッドボーンでは遠藤賢司の嘆きのウクレレを買った。極美品LP。2300円。

京都に帰ってから、六角高倉のカフェで近況など話す。さいきん携帯のメールは使わないという話が印象に残る。ほんとにね。ネットで知り合った連中とはとくにそう。そしてわたしたちはお互い「様」づけで呼び合う。